鳥羽・伏見の戦いにて旧幕府軍敗戦、慶喜公は軍艦に乗り江戸へ退却

株式公開ナビ (1868年1月27日 00:17)|コメント(0)| トラックバック(0)

慶応4年1月3日より6日まで、新政府軍と旧幕府軍の間において京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)を舞台に戦が繰り広げられました。開戦に積極的で無かったとされる徳川慶喜公は大阪城におり、旧幕府軍の敗戦が決定的となり、7日には慶喜公に対して追討令が出た報を聞くと、その夜僅かな側近たちとと共に密かに城を脱し、大阪湾に停泊中の幕府軍艦・開陽丸で江戸に退却されたとのことです。

王政復古の大号令が発令

株式公開ナビ (1868年1月 3日 00:05)|コメント(0)| トラックバック(0)

慶応3年12月9日、薩摩藩兵ら5藩の軍が京都御所9門により固められ中、赦免されたばかりの岩倉具視らが参内し、御所内学問所において明治天皇が「王政復古の大号令」を発令されました。

内容は

1. (慶応3年10月24日に徳川慶喜が申し出た)将軍職辞職を勅許。
2. 京都守護職・京都所司代の廃止。
3. 江戸幕府の廃止。
4. 摂政・関白の廃止。
5. 新たに総裁、議定、参与の三職をおく。

というものです。