銀河鉄道の夜

株式公開ナビ (2010年2月24日 17:33)|コメント(0)| トラックバック(0)

宮澤賢治

一 午後の授業

銀河「ではみなさんは、そういうふうに川だと言(い)われたり、乳(ちち)の流(なが)れたあとだと言(い)われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知(しょうち)ですか」先生は、黒板(こくばん)につるした大きな黒い星座(せいざ)の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯(ぎんがたい)のようなところを指(さ)しながら、みんなに問(と)いをかけました。  カムパネルラが手をあげました。それから四、五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急(いそ)いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌(ざっし)で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持(きも)ちがするのでした。  ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。 「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」  ジョバンニは勢(いきお)いよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席(せき)からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた言(い)いました。 「大きな望遠鏡(ぼうえんきょう)で銀河(ぎんが)をよっく調(しら)べると銀河(ぎんが)はだいたい何でしょう」  やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。  先生はしばらく困(こま)ったようすでしたが、眼(め)をカムパネルラの方へ向(む)けて、 「ではカムパネルラさん」と名指(なざ)しました。  するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。  先生は意外(いがい)なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急(いそ)いで、 「では、よし」と言(い)いながら、自分で星図を指(さ)しました。 「このぼんやりと白い銀河(ぎんが)を大きないい望遠鏡(ぼうえんきょう)で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう」  ジョバンニはまっ赤(か)になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼(め)のなかには涙(なみだ)がいっぱいになりました。そうだ僕(ぼく)は知っていたのだ、もちろんカムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士(はかせ)のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌(ざっし)のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌(ざっし)を読むと、すぐお父さんの書斎(しょさい)から巨(おお)きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁(ページ)いっぱいに白に点々(てんてん)のある美(うつく)しい写真(しゃしん)を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘(わす)れるはずもなかったのに、すぐに返事(へんじ)をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午後にも仕事(しごと)がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊(あそ)ばず、カムパネルラともあんまり物を言(い)わないようになったので、カムパネルラがそれを知ってきのどくがってわざと返事(へんじ)をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。

続きは青空文庫「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」でお読みください。

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セロ弾きのゴーシュ

株式公開ナビ (2010年2月23日 22:40)|コメント(0)| トラックバック(0)

宮澤賢治

チェロゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。
 ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲(こうきょうきょく)の練習をしていました。
 トランペットは一生けん命歌っています。
 ヴァイオリンも二いろ風のように鳴っています。
 クラリネットもボーボーとそれに手伝っています。
 ゴーシュも口をりんと結んで眼(め)を皿(さら)のようにして楽譜(がくふ)を見つめながらもう一心に弾いています。
 にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。
「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」
 みんなは今の所の少し前の所からやり直しました。ゴーシュは顔をまっ赤にして額に汗(あせ)を出しながらやっといま云(い)われたところを通りました。ほっと安心しながら、つづけて弾いていますと楽長がまた手をぱっと拍(う)ちました。
「セロっ。糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはないんだがなあ。」
 みんなは気の毒そうにしてわざとじぶんの譜をのぞき込(こ)んだりじぶんの楽器をはじいて見たりしています。ゴーシュはあわてて糸を直しました。これはじつはゴーシュも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした。

続きは青空文庫「宮澤賢治 セロ弾きのゴーシュ」でお読みください。

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グスコーブドリの伝記

株式公開ナビ (2010年2月23日 21:55)|コメント(0)| トラックバック(0)

宮澤賢治

一  森

火山 グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけなく切ってしまう人でした。
 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽(ひ)く音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩(やまばと)の鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。
 おかあさんが、家の前の小さな畑に麦を播(ま)いているときは、二人はみちにむしろをしいてすわって、ブリキかんで蘭(らん)の花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶(あいさつ)するように鳴きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
 ブドリが学校へ行くようになりますと、森はひるの間たいへんさびしくなりました。そのかわりひるすぎには、ブドリはネリといっしょに、森じゅうの木の幹に、赤い粘土や消し炭で、木の名を書いてあるいたり、高く歌ったりしました。
 ホップのつるが、両方からのびて、門のようになっている白樺(しらかば)の木には、
「カッコウドリ、トオルベカラズ」と書いたりもしました。
 そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました。ところがどういうわけですか、その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるこぶしの木もまるで咲かず、五月になってもたびたび霙(みぞれ)がぐしゃぐしゃ降り、七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年播(ま)いた麦も粒の入らない白い穂しかできず、たいていの果物(くだもの)も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。
 そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗(くり)の木は青いからのいがばかりでしたし、みんなでふだんたべるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。野原ではもうひどいさわぎになってしまいました。

続きは青空文庫「宮澤賢治 グスコープドリの伝記」でお読みください。

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