グスコーブドリの伝記
株式公開ナビ (2010年2月23日 21:55)|コメント(0)|| トラックバック(0)
宮澤賢治
一 森
グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけなく切ってしまう人でした。
ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽(ひ)く音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩(やまばと)の鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。
おかあさんが、家の前の小さな畑に麦を播(ま)いているときは、二人はみちにむしろをしいてすわって、ブリキかんで蘭(らん)の花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶(あいさつ)するように鳴きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
ブドリが学校へ行くようになりますと、森はひるの間たいへんさびしくなりました。そのかわりひるすぎには、ブドリはネリといっしょに、森じゅうの木の幹に、赤い粘土や消し炭で、木の名を書いてあるいたり、高く歌ったりしました。
ホップのつるが、両方からのびて、門のようになっている白樺(しらかば)の木には、
「カッコウドリ、トオルベカラズ」と書いたりもしました。
そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました。ところがどういうわけですか、その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるこぶしの木もまるで咲かず、五月になってもたびたび霙(みぞれ)がぐしゃぐしゃ降り、七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年播(ま)いた麦も粒の入らない白い穂しかできず、たいていの果物(くだもの)も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。
そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗(くり)の木は青いからのいがばかりでしたし、みんなでふだんたべるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。野原ではもうひどいさわぎになってしまいました。
続きは青空文庫「宮澤賢治 グスコープドリの伝記」でお読みください。
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